2012年7月16日月曜日

大学では、ヨット部でした!


今日は、海の日で、仕事はお休みです。しかし、蘭丸の父のブログは、毎日続けていきます。
A級ディンギー
蘭丸の父は、40年位前北九州市小倉北区の福岡県立の大学のヨット部に所属していました。
北九州に、ヨット・ハーバーがなく、福岡の西公園の真下に、荒津基地といわれる砂浜がありました。今は、埋め立てられて、団地が出来ています。休みの日は、北九州から博多まで、年間50日位は、上図のA級ディンギー(1枚の帆で2人乗り)やスナイプ(2枚帆で2人乗り)に乗っていました。A級ディンギーは、木造船です。板1枚のヨット、1人は船長で、舵取りをスキッパーといい、写真の後方(風に向かっています)にいます。もう1人は、写真では前方にいて写真のヨットからはみだして、バランスをとっているクルーで、蘭丸の父は、クルーで、「江の島」であった、学部の全国大会で3位になりました。思い出は、生まれて初めて「痔」になり、メガネを海の中に数個落とし、台風で遭難し、死ぬ思いをした事です。また、ヨットは、風に向かって進む事が出来ます。これは、飛行機が飛ぶ事と同様に、「ベルニーイの定理」と「ベクトル」の考え方です。大自然の中で、自分自身の体力と経験を生かす孤独で過酷なスポーツです。エンジンの付いてないヨット(クルーザーでない)船ですので、写真で見るより過酷なスポーツです。クルーザーみたいに食事をしたりトイレもありません、忍耐の「心」と自分を信じる「体力」がつき、大自然の中では、本当にチッポケな「点」にしか過ぎないという事をヨットを通して学び、ヨット部活動で経験出来た事は、人生の柱になっていますし、本当に素敵な思い出です。61歳で病気と格闘中の丸の父には、今は無理で残念です。

0 件のコメント:

コメントを投稿